スキークロス選手 須貝龍 オフィシャルサイト
Ski Cross Player RYO SUGAI Official Site.

アルペンスキーからスキークロスへ競技転向をして臨む
世界一への挑戦
オリンピック、世界一への想い。
過去の特設ページ一覧

北京オリンピックに賭ける想い

オリンピックにかけるアスリート人生、
須貝龍(すがいりょう)の賭ける想い。
ウィンタースポーツでは競技を変える事はほとんどない。同じ競技の中で種目を変える事はあっても、全く違う競技に挑戦する事は珍しいことだ。
競技転向は須貝龍にとっても初めての挑戦で不安も多かったという。
「スキークロスを始める決断はなかなか簡単に決められる事ではなかった」というように、今までアルペンスキー選手がスキークロスに転向して成功した例は多くない。
同じスキー競技ではあるものの、4人同時に滑り降りるスキークロスは戦略や他選手との駆け引きが勝敗を大きく左右する。
高速で滑り降りながら、状況に応じた冷静な判断が求められるスキークロスではスキー技術のみでは勝敗が決まらない、F1などのモータースポーツのように位置どり(ポジショニング)、駆け引き、スリップストリームなど様々な戦略を用いて闘う。経験が大きな武器となる種目と言ってもいいだろう。
そんな競技に26歳から転向するのだから簡単な決断ではない。
それでも新たな挑戦に向けて踏み出す事が出来たのは周りからのサポートが大きかったという。
「須貝龍の新たな挑戦」

2018年の平昌オリンピックまでアルペンスキーで世界最速を目指していた須貝龍は、
2019年よりスキークロスに挑戦の舞台を移した。
「応援を力に」
スキークロスでの新たな挑戦を後押ししたのが、所属企業をはじめてとするスポンサー企業、地元後援会、家族の存在だ。
「私の活動を心から応援してくれる方々の気持ちに応えたい想いがより一層強くなりました」
競技を変えてもオリンピックへの強い想いで臨む須貝龍の活動を応援し、結果を残す事が出来ると信じてくれる方々への感謝の気持ちを力に新たな挑戦が始まった。
「チームメイトにも支えられ」
試合の流れやルールもまだよく分からない状態から始まり、スタート合図はいつスタートしていいのかも分からず、本当に一からのスタートとなったが、ナショナルチームのメンバーにひとつずつ教えて貰いながら少しずつスキークロスへの理解を深めていった。
同じスキーなのに出来ない事が多く、戸惑いもあったが楽しさが勝ったという。
ナショナルチームのメンバーからは多くの事を学んだ。同じコースを滑っている選手達にしか分からない感覚的な部分はコーチ・指導者から学ぶ事は出来ない。
スキークロスは人工的に作られたコースを滑る競技であるため、同じコースは存在しないし、似たコースを作ることもない。
他のスポーツでも言えるかもしれないが、経験者であるコーチ・指導者であっても感覚的な部分までの共有は非常に難しい競技であるためチームメイトの存在は大きかったという。
「他国の選手からも」
アルペンスキー時代に培った語学力で他国の選手達とコミュニケーションが取れる事は須貝にとって大きな武器になったと言えるだろう。特にドイツ語圏のドイツ、スイス、オーストリアの選手と一緒に滑る機会が多く、他国の選手との練習の中で更に多くの事を吸収した。
スキークロスではフランス、スイス、カナダ、オーストリア、ドイツのたった5カ国が世界ランキング上位を占めている。
他のウィンタースポーツなどと比べても非常に偏った勢力図だ。そこに割って入るためにはコミュニケーションは必要不可欠である。
「北京オリンピックに向けて」
2021年シーズンを終えたシーズンで種目転向してから3シーズンが終わった。
1シーズン目はワールドカップ15位、
2シーズン目はワールドカップ5位、
3シーズン目では自身初のワールドカップ表彰台の2位と着々と成績を伸ばしている。
2022年の北京オリンピックに向けて順調にステップアップしてきている中で、自信もついてきたと語る。
「北京オリンピックのメダル獲得も視野に入って来たと実感しています。ここまで信じて応援して来てくれた方々への感謝の気持ちを胸に来季は更なる躍進を遂げるためオフトレーニングからモチベーション高く取り組んでいます」
スキークロスでは未だ日本人選手のメダル獲得はない。オリンピックに賭けた須貝龍のメダル獲得への道。大きな夢を掴むための努力が報われる瞬間を見たい。

Blog

    ブログの内容を取得できませんでした。

    Top